*** 一応は話しておきたい三幸物産のザンビア産アメシスト物語 ***
★甲府から始まったザンビア産アメシストとのご縁 ドイツのイーダーオーバーシュタインが石のカットで昔から有名なように、山梨県の甲府市も、石のカットをしている研磨の町として有名です。
甲斐の有名な武将の武田信玄のお数珠(じゅず)は水晶だったそうですが、その原料の水晶が甲斐の国(今の山梨県)で昔は産出されていたという歴史的背景から、石のカットや、宝石にかかわる産業が、この地に発達しました。
でも日本では宝石の原石はそんなに出ません。日本産翡翠がミネラル展などで人気ですが、せいぜいマニア向けくらいの供給量でしょう。 だから原石を海外に買い付けに行く人が出てきます。甲府出身のK氏はザンビアのアメシストに注目し、買い付けていました。時は1980年代後半、ザンビアのアメシストの良い鉱山が発見されてまだそんなに年数がたっていない頃です。
その当時、当社は日本橋三越をはじめとするいくつかのデパートで天然石アクセサリーの常設売場を担当しており、色のよいザンビア産アメシストのネックレスは高額でしたが人気商品でした。当時は甲府でカットされたものを仕入れ、社内でネックレス等に組み上げて、販売していました。
★香港での新たなザンビア産アメシストとのご縁 ザンビアという国は、アフリカの真ん中よりちょっと下の内陸にあります。ちなみに南米のブラジルとウルグアイも宝石用アメシストの産地として有名ですが、アフリカの地図のくぼみに南米の地図のでっぱりをパズルのようにくっつけると、ザンビアと同じくらいの位置に3つの国が並びます。どの国も、同じ地殻変動でアメシストができたあと、大地がちぎれて別れていったように思われます。
そのザンビアは、1964年のイギリスからの独立後20年ちょっとたった1980年代後半、その少し前に発見されていたアメシスト鉱山を半官半民企業にするべく動き始めました。 そして、ザンビア政府から依頼された2名の白人が、ザンビアのアメシストを安定的に買い入れてくれる業者を香港に探しにきました。(実は店長もその探しに来た2名との会食に同席しました。「歴史の証人」というやつではないでしょうか。)
香港は当時、世界の工場となっていた中国大陸を後ろに控え、西側世界に開かれた自由貿易港を表玄関とし、世界から輸入した原石を中国で加工して世界中に売っていたのです。
ザンビアのアメシスト鉱山と独占的な大口契約した香港の一社は、バブルで景気の良かった日本でテレビ通販を始めていた当社と名コンビとなり、高額商品だったザンビア産アメシストの製品を価格破壊の値段でお届けして、全国のお客様に大変に喜ばれました。
当社が香港の企業と兄弟のように緊密につながり、独自の製品を企画し始めたのは、ザンビア産のアメシストがきっかけでした。
その後は2006年まで、毎年アメシストが誕生石の2月に、テレビ通販でザンビア産アメシストの特別企画商品を開発して販売し、ご好評をいただきました。そのテレビ通販とは、日本で初めてラジオの深夜放送やテレビ通販をお始めになられた高崎一郎氏(1931-2013)がホストをつとめていらしたレディス4(フォー)という三越提供の月~金の帯番組です。日本は「団塊の世代」と呼ばれる戦後のベビーブームで生まれた人々がちょうどゆとりのある年代に達し、日本経済はバブルと言われて熱気がありました。おそらく当時は世界でもっとも販売数の多かった通販媒体だったと思います。
以上が当社とザンビア産アメシストの出会いであり、歴史です。ずいぶんと良い原石を、特別企画でネックレス用に使わせてもらいました。今あるものは、貴重なお宝ストックとして、めでてくださる方々にお譲りしていく所存です。
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